ビーチコーミング関係は別ブログに引っ越しました。こちらでは日々の出来事を写真とともに紹介します

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朝日新聞に載った話とこのブログの方向性について(笑)

いやぁ~、きいこのお気楽主婦日記。本当にその名の通り、統一性のないお気楽主婦日記です(笑)
でもね、一応日常の日記的なことは、友達のみ限定設定のMixi日記に書いて、ここは、なるべく多くの人に知ってもらいたいような情報を書こうなぁんて思っていたのだけど、なんだか分からないうちにぐちゃぐちゃ(笑)

友達の年賀状には、ここのアドレス書いたし、学生時代の友達はmixiなんてやってませんからね。たまには日記的なことも書かないとなんて思ったりしちゃうから、ますます統一性がなくなる・・・・

さて、前置きはこのくらいにして、この統一性のない日記の中で、多くの人に読んでもらいたいと思って、唯一結構真面目に書いたのが(他のブログはふまじめなわけじゃないけど)一昨年亡くなった父の介護を書いた物。ターミナルケアというカテゴリにまとめてあります。 その記事の一部を、去年特集記事を書くためにいろいろ検索していた朝日新聞の記者さんの目にとまり、わざわざ家まで取材に来てくださいました。

で、朝日新聞で元旦から始まった「探嗅」という特集の中で紹介してくださいました。 私の記事が載ったのは、1月11日の探求10です。 探嗅という特集ですから、においに焦点を当てています。私の場合は死臭なんですよね。 死のシグナルとしての死臭。私がこのブログで伝えたかったこととはちょっと違うけど、とてもよい感じに書いてくださって感謝です。

で、その時に記者さんに、ここのブログとのリンクはしないで欲しいとお願いしました。なんたって、天下の朝日新聞の社会面の特集ですからね。で、ターミナルケアのみのブログならまだしも、給食やらビーチコーミングやら、息子ポンタの馬鹿話やら、とめどもない内容満載でしょ。そして、ターミナルケアの話は一昨年の話しですからね。
でも、こういう介護方法もあると言うことを世間に知ってもらえるチャンスを逃してしまったのかなとも思ったわけで。やっぱり気持ちにも統一性がない(笑)


今の医療制度では、こういう医療を提供している病院は苦しい経営状況を強いられることになるので、なかなか普及できないでしょうし、治療のみが医療なわけじゃないって思うわけで。 でも、考え方はいろいろなので、その人、その人にあった形はあるとは思うのですよね。 私も、生かされている治療は受けたくないなって思うわけで。そういうのは、本人もつらいし家族もつらいんじゃないかなって。でも、それでもとにかく生きていてくれるだけでよいと言う人もいるから、やっぱり一概には言えないのかもしれないけど。

また統一性のない文章になってしまいましたが、ココが発信地で朝日新聞の特集に取り上げられたのは事実なので、一応ご報告を兼ねて少し書かせてもらいました。 知り合いには、取材を受けた話はしたので、何人かからは連絡来ましたが、まあ反響は静かなものでした。 私としては、静かな方がありがたいので良かったのですが。


ということで、今後このブログの方向性はどうするか・・・・
結局同じような統一性のないブログで行くことになりそうです。まあ、お気楽主婦日記ですからね(笑)

とりあえず、もっとこまめに更新できるように頑張ります!
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在宅ターミナルケア24 ~驚愕の医療費~

父の死後処置が終わり、後で死亡診断書を取りに来てくださいと言われたので、葬儀屋との手続きをしている間に主人が死亡診断書を取りに行ってくれました。その後駆け込みで市役所に行き、火葬場の予約を取り葬儀日程が決まりました。これが最初の事務手続きだったな。

本当に、事務処理でバタバタしていて、悲しみにくれる余裕ってないものなんだなぁって思いました。その後も、色々な事務処理で駆け回ることになりました。年金のストップ、公共料金やその他の名義変更、遺産相続手続き、準確定申告など。不動産のみ司法書士さんにお願いして後は妹と2人で駆け回って処理しましたよ。

さて、医療費なのですが、主治医の病院でも、訪問看護ステーションでも、在宅療養の間の医療費は一ヶ月分まとめての請求になります。父の在宅医療が始まったのは、7月の終わりだったので、ほぼ8月一ヶ月分の医療費をまとめて払うのも大変だなぁとは思っていましたが、父が生前に自分の医療費に使ってくれと言って、30万円用意してくれていたのです。

入院しているわけではないので、30万以上はかからないだろうなぁとは思っていました。でも、毎日看護師が来てくれていたし、高い薬も使っていたので、それなりの医療費は請求されるものだとは思っていました。

葬儀が終わり、少し落ち着いた頃、先に主治医の病院から電話がありました。
「医療費の計算が終わりましたので、請求額をお知らせいたします」
と。で、請求額を聞いた後、私は
「すみません、全部きちんと清算してくださってこの額ですか?間違いないですか?」
って聞きなおしました。だって、目ん玉が飛び出るほど、あれ?逆だから引っ込みすぎちゃうほどって言うのかな?あまりにも少なすぎる額だったから。

請求された金額は、22,618円也

もちろん、週2回の看護師訪問(そのうち1回は主治医の往診)点滴や経口薬すべての薬代、死後処置と死亡診断書代。すべてひっくるめた額、1か月分のお値段です。

その後、訪問看護ステーションからも請求額のお知らせ電話がきました。やはり、そちらも31,965円でした。こちらも週5回の訪問看護代(そのうち2日が休日手当て付)交通費、吸引機のレンタル料も含めたお値段です。


8月1ヶ月間、在宅ターミナルケアすべてにかかった値段は、54,583円でした。これって、母が3日間入院した時の値段よりもちょっと高いくらいだよ。

父の医療費って、外来の時や、放射線治療費を含めたすべての金額を合わせても、たいしてかかりませんでした。

ちなみに、放射線治療代(全部で6日間。 検査日2日も含む) 12,700円
主治医の病院に外来通院 (全部で3日間) 14,590円

まあ、全部あわせても8万ちょっとです。父は生涯で健康保険はたったそれだけしか使わなかったという事ですねぇ。でもまあ、その分対極の性格をしている母が使いまくっていましたから、納めた健康保険分はお世話にはなっているとは思いますが。

巷でガン保険のコマーシャルが流れておりましたが、父はもちろんそんなものには入ってません。普通は、癌になると、膨大なお金がかかると思います。父のように、もう治療しても無理だと診断された場合に限りますが、お金をかけずに、苦しまず楽に生涯を閉じる事も可能なわけです。

もし、入院して治療をしていたら、たぶんもう少しは長生きできたと思います。でも父はその分長生きしたからと言っても幸せであったとは思えません。たぶん、私も今のような穏やかな気持ちで父の死を受け止めることはできなかったでしょう。お金も膨大にかかったことでしょう。父の意志によりこのような形を取りましたが、娘としてこういう医療の方法もあったのだ、という事を知り人間の死について、今の医療体制について、大事な事はなんだろうって考えるきっかけになりました。

父のような考えを持っている人もいると思います。でも、現在の医療体制では、まだこのようにきちんとした連携がもたれている施設は本当に少ないのが現状です。

医師不足、健康保険の赤字、老人医療の問題など、今の医療業界では、本当に問題が山積みになっています。でも、一方では、医療費にやさしく、父のわがままをきちんと受け止めてくださった医療施設があるのも事実です。父は身近に自分の理想に近い施設が存在する環境に住んでいたことは本当に幸運だったと思います。

今回、自分の為にまとめようと思っていたことを、あえて公開ブログに書いたのは、こういう医療体制もあるのだということ、それは、こんなにお金がかからずそして人間らしく最期を迎えられるんだという事を1人でも多くの人に知ってもらいたいと思ったからです。 

今回、父の在宅介護のために色々お世話になった、花の谷クリニックさま、そして訪問看護ステーションセンターキュアさま、本当にありがとうございました。 

そして、最後に個人的な父の介護日記にお付き合いくださった皆様に感謝いたします。

在宅ターミナルケア23 ~波の音を聞きながら~

亡くなる日の前日の夜は、あの恐怖の夜とは打って変わって本当に静かでした。妹と2人で父の部屋で寝たのですが、意識レベルが低下して、痰のつまりも意識できないレベルになっているようでした。前日あまり寝ていなかったので、その日はのんびりと寝てしまいました。

翌朝、父の呼吸の変化はないみたいだったので、とりあえず洗濯をしに一旦家に戻りました。子供達は、主人の実家に行っていたので、家には誰もいませんでした。洗濯を済ませ、洗濯物をたたみに居間へ行ったら、偶然ついていた朝のワイドショーで、谷村新司が昴を生で歌うという話が耳に入りました。思わず顔を上げてテレビに見入ってしまいました。


昴・・・

父の好きな歌でね、この歌好きなんだよぉ~って昔言っていたのです。 

谷村新司の歌を、父のことを考え涙ボロボロながしながら、聞き入りました。偶然だったのでしょうけど、この歌を聞きながら、たぶん父と今日でお別れなんだなぁって自分で自然に思えたんですよね。今から思えば、どうしてこの日の朝、いつも見ないワイドショーをつけて、洗濯物をたたんでいたのかも不思議なんだけど、偶然そのチャンネルにその時間谷村新司がでて、この歌を歌ったというのも、なんか不思議だと思いました。 

雑用を済ませて、実家に戻ると、父は静かに寝ていました。妹が、買い物に行くというので、入れ替わり妹が出かけました。しばらくすると、なんとなく息が荒い感じになっています。

呼吸が変った・・・

妹に、呼吸が変ったから早めに帰って来てとメールをして、父の様子を見続けることに。すぐに妹も帰って来て、確かに呼吸が変ってるねぇと話しました。そして波のDVDを流そうという事になりました。

こういう場合でも、音は聞こえるらしいと聞いていたので、波の音を聞きながら、静かに大好きな自分の部屋で最後を迎えさせてあげたいという気持ちでした。 

主治医に電話するかどうか妹と相談したのですが、主治医も外来患者を持っているわけだし、確かに呼吸は変ったけど、どのくらい時間がかかるのかもわからない。時計は、父がゴルフコンペでもらった時計で時間を見る。(時間はこの時計で見ることにしましょうとすでに主治医と話をしてありました)だから、私達で最後を見守ろうという事になりました。

母を呼んで3人で見守ります。

呼吸は、ちょっと激しい感じで身体全体で、ゼイゼイと傍から見ると苦しそうに見えます。でも、本人は全然苦しくないんだと看護師さんから聞いていました。波の音を聞きながら、静かに時が過ぎます。声をかけたりしましたが、なんてかけたのか、忘れちゃいました。頑張ってとかそういう言葉は、そういえば私達一切かけなかったな。父は相当頑張っていたから、もう頑張らなくても良いよって気持ちの方が強かったから。どちらかといえば感謝の言葉みたいなのをかけていた様な気もするなぁ~当時の事、本当に思い出せないわ。 


呼吸が変ってから約1時間、一度呼吸が止まりました。時間を見てメモ帳に記載。しかし、またしばらくして、呼吸復活。ああ、良かったぁ~と安心しながら見守っていると、「おお~」と声というかうなり声を最後にあげ、呼吸停止。

2008年8月28日 午前11時39分 父死去

時計を見て、時間をメモした後、私と妹と2人で「お疲れさま」と父に声をかけ、何故か拍手していました。たぶんね、実父が死んだ後拍手する人なんて絶対にいないだろうし、こういう行為っておかしいとは思うけど、一緒に父を介護して、父が一番望んでいた形で最期を見送れたという気持ちと、父が今まで本当に立派に生きていて、最期も本当に立派だったよという気持ちも含めた上で自然と出た行為だったんでしょうね。もちろん、涙もなかったし(その前は何度も泣いたよ)気持ちもとてもさわやかでした。自分自身、思い残す事もなかったし、父にしてあげられることはすべてしてあげられたと思うし、父も絶対に喜んでいるだろうという事が感じられたからね。


そして、その後で主治医に電話。妹が電話してくれたのですが、主治医は驚いていたみたいです。自分達で全部やっちゃったの??って。外来患者がいるので、すぐにはいけないので、そのまま待っていてくださいと。とりあえず、主治医が来るまでは父を動かしてはいけないので、一切手を触れずそのままの状態で待ちました。


主治医到着後、父のケアマネージャーである看護師さんが最後本当にきれいにしてくださいました。着替えさせて、身体を拭いて、ヒゲをそって。丁寧に父を扱ってくださる様子を見て、本当にありがたいなぁと思いました。 


そして、本当にこの後、驚くべき事は今回の医療費でした。

私が、父の在宅介護を通して、感じた事や学んだこと、そしてあえて公開ブログに書き残しておこうとおもったのは、この医療費を含む、在宅ターミナル医療のこれからの重要性と必要性。父の介護を通して、人間の死とは一体なんだろう、莫大な医療費問題や老人保険の問題。今社会で問題になっているすべての事を解決できる糸口にもなるんじゃないかと思ったし、自分の父の介護で得られた、満足感というか達成感というかそういう気持ちもわかって欲しかったし、とにかく色々な経験をさせてもらった2ヶ月でした。

これは、自分達だけでは無理で、周り(家族)の理解や医療機関の協力、そして患者本人の意思などさまざまな要素が含まれるので、難しい問題ではあります。ただ、やっぱり自分はどのような形で最期を迎えたいかと思うときに、やっぱり人間らしく最期を迎えたいなぁと感じるし、父のような形はむりだとしても、それに近い形が良いなぁと思いました。まあ、自分の意思だけでは決められることじゃないけどね。 

おっと、次で書こうと思った内容を書いてしまった。

在宅ターミナルケア22 ~死の前日の様子~

あの、恐怖の一夜が明け、父は静かに眠り続けていました。妹に、昨日の話しをちょっと大げさに話しながら、今日は一緒に父の部屋で寝てね!!ってお願いしました。やっぱり、1人じゃ恐いです。

訪問介護の看護師さんが、毎日血中酸素濃度を測定してくださっているのですが、前日あたりから、すでに測定不可能の状態になっていたので、今まで測定していなかった血圧測定をしてもらうように頼みました。父は今まで、血中酸素濃度測定以外の測定は一切拒否してましたからね。一応、状況を説明して、血圧測定をすることを父に納得させてから測定。前日は、最高血圧82、最低血圧50だったのですが、翌日は最高血圧72そして最低血圧は測定不能になってました。一日でこんなに下がっちゃうものなのですね。 

すでに、かなり意識レベルが低下しているいので、静かに寝ている状況ですが、こちらの話し声は聞こえるようです。もう、今日、明日の状況なので、母や妹、そして私は父に沢山話しかけるようにしてました。 

とにかく、思い残すことを一切なくしたかったのです。自分自身にも。父に言いたいこと、伝えたいこと、父の手を取って、話をしました。父の手も、言葉に反応してました。心なしか強く握り返してくるのがわかります。伝わったなって感じました。母も、妹も、たぶん同じ様な時間を持ったのではないかと思います。家での介護では、家族しかいない状況なので、こういう時間はいくらでも取れますからね。


妹が、少し前「父は釣りが好きだったから、海の音を聞かせてあげたい」と言い出しました。もう少し、時間があれば、ビデオを持って父の好きだった海に行き、撮影してくる事も出来たのですが、今そんな気分にもなれないし、素人の撮影ビデオじゃ、きちんと音も拾えないだろうしね。でも、毎日釣りに行って、波の音を聞いていた父なので、確かに波の音を聞かせてあげたいなぁという気持ちはありました。

で、妹がインターネットで、「波」というDVDを購入してくれました。BGMもなく、海の画像と波の音のみで構成されているDVDです。まあ、よくこんなものを探してきてくれたなぁと妹のネット検索能力に脱帽しちゃったわけなのですが、注文してすぐにそのDVDは届きました。 

この波のDVDがその後素敵な演出をしてくれました。

在宅ターミナルケア21 ~長い夜 最後の戦い~

父が亡くなる2日前から、私は実家に泊り込む事にしました。妹は、お盆からずっと父の隣の部屋で待機してくれていたので、私としては本当にありがたかったのです。私も、何か連絡があったら、すぐに実家に行けるように、アルコール類は一切飲まず(まあ、私はアル中じゃないけどね)携帯電話をずっと身につけている生活は送ってましたが、やっぱり、家にいる間は、気分転換ができるので、妹から比べると楽な立場じゃないかなとは思っています。


さて、その夜は父の部屋に布団を敷いて、様子を見ながら休もうと、結構気楽に構えていました。とりあえず、呼吸が変ったら妹に連絡するねと言って、父の様子を見ながら、日付が変る頃までは、ナンプレパズルを解いてました。そう、1人で父を見守っている時は、このパズルを解いてました。結構時間つぶしになるので好きなんですよ。

今の父の様子は、とにかく痰が苦しそう。口が渇くので、氷や、スポンジ、マスクなどを使用したりしていましたが、なかなか痰が切れない。やはり、力が弱くなってきているので、以前は簡単にできたことが簡単にはできない状況なのです。ネブライザーと痰の吸引器をレンタルして、必要な時は使用出きる様になっています。一応使用方法を指導していただきました。


病院に入院している場合は、たぶん時間毎に看護師さんが来て、痰吸引をしてくださるのでしょう。でも、痰吸引ってとても辛いようです。父に、吸引器使う?と何度か聞いても大丈夫だと言い、自力で痰を吐き出していました。まあ、自宅療養は、あくまでも患者個人の意見を尊重しますので、父が望めばやりますが、父が望まない限りは機器があっても、使用はしません。(一応勧めますけどね)

その夜も、本当に苦しそう。ネブライザーをやって痰を柔らかくしても、なかなか吐き出せない様子。やっぱり、父が苦しそうにしている姿を間近でただ見ているだけって言うのはかなり辛いのです。

痰吸引器を使ってみると言うので、初めて痰吸引器をセットしてみました。私が、父の口の中にカテーテルを入れようとすると、父はそれを自分で取り、自分で吸引を始めました。しかし、やはり奥までカテーテルを入れるのは苦しいので手前どまり。それ以上は自分でもできずあきらめてしまいました。たぶん、ベテランの看護師さんなら、奥までカテーテルを入れ、痰吸引をしてあげられるのでしょうけど、私には無理だし、父も望んでいません。ということで、吸引作業はあえなく撃沈。

どうしたら良いのだろう。夜中の2時。妹を起そうかと思ったけど、2人いても何をするわけでもないので、とにかく様子を見るしかない、寝られないしどうしよう。父の介護の中で、この時が一番不安で恐かったです。病院だったら、看護師さんや先生を呼べるのでしょうが、家では自分達で対処しないといけません。まあ、精神的に限界が来たら妹を起そうと思ってました。

ゴホゴホ!!父は、激しく痰を出そうとしています。もう、その状況を見ているのが辛い。そして、激しい咳き込みと一緒に、痰を吐き出しました。痰だけでなく、消化管のもの全部吐き出したという感じ。といっても、食事をしているわけではないので、固形物ではなく、色とりどりの粘液というかそういうもの。 

私にとっては、かなりショッキングでしたが、とにかく父は自力で痰を吐き出せたのです。いやぁ、あの状況で吐き出せたのは、かなり辛かったのだろうなぁと。その後、もう一度痰を自力で吐きだし、その後は、静かに眠りにつきました。 

その後、意識レベルは痰のつまりを苦しみと感じないくらいに落ちていったので、痰のつまりで苦しむ様子はありませんでした。つまり、あの夜は父の最期の病気との戦いだったのでしょう。私は何もできませんでしたが、今となれば、その場に付き合うことができて光栄だったのかなぁと思います。いやぁ、当時は、もう頭の中真っ白で大パニック状態でしたけどね。

父の介護で一番苦しかった事は?と聞かれたら、迷わず「あの一夜です」と答えますね!!

在宅ターミナルケア20 ~死のシグナル~

訪問介護の看護師さんが「死臭が出てきているうようですから、あと2~3日かもしれません」と帰り際に話をしてくれたのは、確か死の4日位前のことだったと思います。

死臭??

やはり、職業柄、沢山の死と直面している人だから、そういうのが感じられるんだなぁと思ったのですが、その時は私は全く死臭は感じ取れませんでした。

その日の午後、妹が言いました。

「私、死臭わかるわ」

妹は、モルモットを飼っていて、そのモルモットが死んでしまったときに感じる特異な臭いと同じ臭いを感じたという。しかし、やっぱり私はその時はわからなかったんですよね。


死臭の話が出たときに、ふと人間の死は心臓の停止を持って判断されるわけだけど、死臭がでているということは、心臓は動いているけど、死んでいる器官もすでにあるんだと。それが、どの器官なのかはわからないけど、父はすでに一部の機能は停止しちゃっているんだなって思いました。逆に、心臓が止まり死だと判断された後も、まだ生きている器官もあるんだろうなと。そう考えると、人間の死を何かで判断しないと、2日も3日もずれが出ちゃうんだなって。なんか、人間の身体って一つじゃないんだなって不思議に思いました。

私は、その翌日その死臭を感じる事ができました。日に日に死臭が強くなってきているからなのでしょう。ということは、日に日に身体の器官も少しずつ停止しているんだなぁと。 

死の直前は、呼吸が変るそうです。これは、看護師さんからも説明をうけました。痰が詰まっているので、確かに苦しそうな呼吸なのですが、死の直前は、体全体で呼吸をする感じになるそうです。肩から、ガッガッと傍から見ると苦しそうに見えますが、本人は意識レベルが低下しているので、見た目よりも苦しくはないそうです。

ということで、これからは、呼吸チェックが主流となります。私も、実家に泊り込むことにしました。

在宅ターミナルケア19 ~幻覚との戦い~

父は、日に日に衰弱して行きました。安楽尿器を使うようになってから、ベットから動く事もなく、ほとんど一日寝ている状態になりました。しかし、下の処置はきちんと自分でやっていました。

ベットの脇には、安楽尿器、モルヒネの自動注入装置、そして酸素チューブなどが置かれています。

少し前から、父は幻覚をみるようで、分けのわからないことを言い出すようになりました。しかし、少し話すと自分でもわかったらしく、納得したようにうなずきます。 

主治医にそのことを話すと、モルヒネの量は、全く増やしていないので、モルヒネによる幻覚ではなく、低酸素脳状態からくる意識低下によるものではないかとのことでした。幻覚で、暴れたり騒いだりする事もなく、ただ、ちょっとわけの分からない言動を言い出すくらいだったので、介護側としても、それほど苦労するほどのものではありませんでした。まあ、でも確かにあわてますけど・・・・


夕飯を1階のリビングで皆で食べた後、父の部屋に様子を見に行ったら驚きました!! 父が、酸素チューブを鼻から外し、手で持って眺めていたのです。

ぎゃーーー!! 大変!! と私は叫びながら、あわてて父の手からチューブを取り、父の鼻に当てて固定しました。とりあえず、大事に至ることはなかったのですが、今の父の状態で、酸素チューブを外すと言うことは、死を意味します。

妹と2人で、できるだけ父の傍にいないといけないと話し合いました。しかし2人で、24時間体制は無理です。夜も、寝ないで見るなんてことは無理です。それこそ、介護しているほうが倒れちゃいます。だから、妹と話しました。

とにかく、自分達でできる限りの事はやろう。ただ、夜中に何かあった場合は、これは仕方ないことだと。父もこの状況を自分で選んだわけだから、何かあっても決して恨まれる事はないだろうと。これが運命だろうし、父が自らそういう道を選んだのだと思うことにしようと。 

私たちの仕事は、父の死を看取るまで、父が楽に過ごせるようにサポートをすること。そして、父の死が近づいたら、(または死を確認したら)医師に連絡をすること。つまり、いつ死が訪れるのかを自分達で判断しないといけないのです。

死が近づいてくるシグナル。これは、いくつかあるのです。

在宅ターミナルケア18 ~家族の役割~

オリンピックが開幕した日から、父は部屋の脇にあるポータブルトイレに移動するだけしか動かなくなりました。動かなくなると、褥瘡(じょくそう・床ずれ)ができ始めるので、介護保険適用のエアーマットを入れました。もう、自分でできることも限られてきてはいますが、やらなくてはいけない事も少なくなってきたので(食事も点滴だし、身体を拭くのも男の介護師さんがやってくださいます)家族としては、相変わらず見守るのが中心の生活です。

一応、家族は3人。母、私、そして妹。母は、父と一緒に暮らしていますが、ちょっと身体が悪い。私は、車で15分程度のところに住んでいて、妹は隣の県に住んでいます。妹が実家に来ると、2~3泊泊ってくれていましたが、お盆に御主人と一緒に実家に来てから、父を見送るまで家に戻らずずっと実家で寝泊りしてくれる事になりました。これは、私にとっても心強かったのです。


丁度夏休み中だったので、子ども達の学校はお休み。娘は中学生なので、午前中は部活。私は子供達との兼ね合いを見ながら毎日実家に出向きました。一緒に連れて行ったり、留守番させたり。結局今年の夏休みは、どこにも連れて行ってあげられなかったのですが、子供達は一切文句を言いませんでした。これは、とってもありがたかったし、本当に偉いなぁと思い感謝しています。私の主人も、妹の御主人も、何も言わずに協力してくれたので、本当に周りには恵まれたのだとは思います。精神的な抑制がなかったので、ストレスなく、在宅介護ができたのはありがたかったです。これが、周りに気を使いながらやっていたら、やはり精神的なストレスは大きかったんじゃないかな?


さて、私と妹ですが、父を見守るのが主な仕事です。あと、点滴の後のヘパリンロック。ヘパリンロックというのは、点滴の最後に、血が固まっらないようにヘパリンを注入する作業です。点滴にかなり時間がかかるので、こういう仕事は在宅の場合家族がやるのが一般的のようです。点滴が終わったのに気付かず、父から呼ばれることもあったなぁ。父のベットサイドに携帯電話を置いてあり、私や実家の1階に無言電話がかかれば父からの呼び出しのサインということで決めていました。この頃は、もう父は声が出なくなっていましたから。

喉が渇くというので、氷を小さくして用意したり、歯をみがけないので、スポンジを用意したり(自分で口の掃除はしていた)頼まれたことをチョコチョコとやる程度で、後は父の変化を見守るだけ。 

抗生物質投与後、食事もしたりして一時回復したのですが、そのうち、また胸が苦しくなり、痰が切れなくなり、苦しい様子を見せ始めました。一時的にストップしていた抗生物質をまた再開しましたが、以前のような驚くべき回復は見せませんでした。

父は寝ていることが多く、テレビも全く見なくなりました。オリンピックの男女のマラソンや、閉会式は見ることもなく、寝ていました。

部屋の脇にあるポータブルトイレまでの移動も不可能となり、安楽尿器を使い始めました。使い方を看護師さんに教わって、父は自分で処理していました。尿を捨てるのは母の役目。父は下の世話を娘にはしてもらいたくないようです。

父は、安楽尿器で、亡くなる2日前まで自分で処理をしていました。本当に最後の最後だけ、紙おむつを使いましたが、使ったのはたった2枚だけでした。それも母の仕事でした。モルヒネを投与していたので、便は全くでませんでした。下剤を飲んでいましたが、やはり出ませんでした。まあ、点滴しか入れていないから、そんなものなのかもしれません。主治医が、浣腸を進めましたが、父は浣腸をやったことがないといって、拒否しました。必要になったら、自分でやると言うので、ポータブルトイレの脇に市販の浣腸をおいておきましたが、やはり使いませんでした。結局、父はこの世で一度も浣腸の世話にならなかったんだなぁ~


この頃から、妹と私とで24時間監視体制にしないといけないねと考え始めました。

在宅ターミナルケア17 ~父復活~

注射に切り替えて、最初はモルヒネ量が少なかったみたいで、息苦しさを訴えていましたが、量を少し増加したら、かなり楽になった様子でした。

注射に切り替えてから、一緒に抗生物質も点滴静注していたのですが、抗生物質を投与し始めてから、息苦しさがなくなってきたみたいで、父は元気になって来ました。今まで、日に日に悪くなって行く日々だったのですが、状態が良くなってきたのは初めて。そして、点滴静注を初めて4日目の時に

「ポテトチップが食べたい」

と言い出しました。4日前は、口から物が食べられなくなり注射に切り替えたのに、食べたいと言われても~って戸惑いましたが、ターミナルケアの場合は、ダメという項目ないんです。


ターミナルケアとは、治す医療じゃないのです。患者が一番快適に過ごせる環境を作っていく医療なんですよね。だから、主治医も「基本的にやってはいけないことはありません」と言ってました。これは、父がゴルフをやりたいと初期に言った時に主治医に相談した時に言われた言葉です。ですから、食べたいものは食べさせてあげれば良いのです。

血液検査で、ナトリウム不足だと言われていたので、たぶん塩分が欲しかったのではないかと思うのですよね。抗生物質のおかげで、肺の炎症が解消されたみたいで、一時的に本当に恐ろしいくらい回復しました。たぶん、こんなにすごく抗生物質が効く人は父くらいなものじゃないですか? だって、今まで、抗生物質を使った事無かったから、感受性高いんですよ。身体も反応良いんだろうなぁ。というか、やることやること(放射線もそうだけど)本当に効果を発してきていましたから。身体は素直ですねぇと主治医も言ってましたしね。やっぱり、病院かからないとこういうメリットがあるんだと思いました。

で、主治医に相談する事も無く、ポテトチップスを買いに行きましたが、父の希望のポテトチップスは売ってない。父の希望は、薄味ではない普通のポテトチップスなんだけど、今は、どれも薄味ばっかり。コンソメ味とか別の味はお気に召さない様子。つまり、塩分が欲しいんですよね。それでも、薄味のポテトチップスをその日から、毎日食べていました。本当に普通に食べてました。買って来たその日は、なんと一袋食べちゃったんです。

これは、ビックリ!!!!  一体、この回復力は何なんだ!!!

回復力は、食欲だけではなく、良く話もするようになりました。実は、話をすると胸が苦しくなると言って、必要な事以外はあまりしゃべらなかったのですが、元気だった頃と同じ様に、普通に日常会話を楽しむくらいに回復しました。

丁度、それがお盆の頃。今まで、お見舞いの人を一切断っていたのですが、ゴルフ仲間のお見舞いを許可し、会話を楽しんでいたようです。そして、その人達が持ってきたコーヒーゼリーが美味いから毎日食べたいと言い出し、旦那がその店までコーヒーゼリーを買いに行ってくれました。

そして、お盆休みに妹と妹の旦那も来ました。父は、母、私、妹、妹の旦那と私の旦那に、自分の希望(財産やその他の事も含めて)を話しました。父は、「自分の言いたい事が、話せて良かった」と満足そう。その日は、本当に一日父の話を聞いていた気がします。自分の気持ちも(ちょっと今後の不安の件もすべて含んで)父にぶつけられました。本音トークできた一日でした。ただ、ちょっと私ってきつい性格なのかもしれないって思ったけど(父に対してではないですが)言いたいこと全部吐き出しちゃって、父はきちんと受け止めてくれました。本当に、この人は偉大な人だと感心しました。 

父の素晴らしいところは、過去のことは過去。今日話したことで、全部忘れろ。今線を引いたから、ここから気持ちを再スタートさせて、これからの事を考えていけと。(いやぁ、恥ずかしながらまだ過去引きずってて、再スタートできない私だけど) 父は、今の状況をきちんと把握していて、それを解決するために父なりの理想論をいろいろ述べて教えてくださいました。なかなか、理想と現実はうまくはいかないのですが、あの日の父との会話は、一生心に刻んでいかなくてはいけない言葉だと感じてます。

抗生物質投与で、奇跡的な回復を見せた父。1週間くらいそういう元気な時期が丁度お盆の時期と重なった事も今から思えば不思議な事だと思います。父も、私達家族も、そういう時間を持てた事で、精神的な区切りも付けられたのではないかと思います。あと、この場所で生涯を閉じる事が出来れば、何も思い残す事ないんじゃないかなぁと。

そして、もうどんな状況になろうとも、父はこの部屋で最期まで過ごさせてあげようと思いました。主治医も、訪問看護師たちも、家族もすでにそう思っていたので、なにかあったら救急車を呼ぶという選択肢はなくなりました。もう、なにがあっても、動じない。つまりはそういうことですね、家族は。

在宅ターミナルケア16 ~経口から注射へ~

昨日出来た事が今日出来なくなる、そういうことが少しずつ増えてきました。机でやっていた書き物も、ほとんどやらなくなりました。父は、カレンダーに一日が終わると×印を付けていくのですが、×印は8月7日で終わってしまいました。

8月7日で終わった事には一つ理由があります。8日からオリンピックが始まったからです。父はベットでテレビを見て一日を過ごしているのですが、面白いテレビがないと書き物をし始めるのです。確かに体調の悪化により、机までの移動ができなくなったことも理由の一つですが、すでに開幕している高校野球とオリンピックで、一日中飽きずに楽しめる時間を過ごせる様になりました。今年の夏オリンピックが開かれて、本当に良かったと思いましたよ。ニコニコしながら、高校野球やオリンピックの話をすることが多くなりました。

丁度、オリンピックが始まったのと同時に、今度は口から物が食べられなくなってきました。口から入れると、どうしても肺の方に入ってしまい、苦しいみたいです。飲み込む力も少なくなってきているのでしょう。 

薬も飲めなくなってしまったので、主治医に連絡。すぐに往診に来てもらいました。そして、経口薬から全部注射薬に変更です。

訪問看護をお願いしている看護師さん達にも連絡が行き、主治医の指示を聞きながらメモを取っていました。 

ステロイド剤は皮下注射。その他は点滴静注。父は、生まれて初めての点滴体験です。

で、また後から別に書きたいと思いますけど、私が一番ビックリしたのは、モルヒネの在宅持続型静注システム。たぶん、この注射ができたから、がん患者の在宅ケアが可能になったのだろうなぁとも思います。定時にモルヒネを静注し、苦しくなった時のレスキューとして、患者がボタンを押したら、一定量のモルヒネが注入されるシステムなのです。 

そして、肺が炎症を起しているので、抗生物質も投与されました。父は、初めての抗生物質体験。

今まで、医者にかかっていないので、医療行為はほとんど経験なし。つまり、薬に対しての感受性は非常に高いみたいなのです。そして、この日から投与され始めた抗生物質の点滴静注が、物凄い威力を発揮してしまったのです!

 



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プロフィール

きいこ

Author:きいこ
千葉県房総半島の端っこでのんびり暮らしています。主婦からパートのおばさんになりました。 大学生と高校生の子供がいます。

趣味はビーチコーミング ビーチコーミングは別に専門のブログを立ち上げました。

ビーチコーミングブログはこちら

きいこのビーチコーミング日記


実家の父の在宅介護記録もあります。父の介護を通して家族の在り方などをつづっています。

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